フランチェスコ・ビソロッティ / Francesco Bissolotti

フランチェスコ・ビッソロッティは1929年クレモナ北部の小さな村ソレジーナに生まれる。

1940年代に均衡のカステッロレオーネの中心地に転居し、著名な彫刻家であり飾り物職人ジーノ・ロッタに弟子入りする。更に音楽への強い情熱により腕利きのアマチュア・ヴァイオリニストとなる。1957年にクレモナ国際弦楽器製作学校に入学、入学数ヶ月間ピーター・タターが教師を務め、その後ガエターノの息子であるピエトロ・ズガラボットが教壇に立つ。

同氏は製作技法に従来指導してきた方法とは違った新技術を導入した。中でも意義深かったのは内型とア・カッサキウザと呼ばれる、楽器の最後の組み立て作業の後にアウトラインを仕上げパーフリングを施す技法を取り入れたことであった。
ガエターノの楽器の多くをビソロッティが修理、点検したこともあり、当初のビソロッティの作風はズガラボットの影響を強く受けていた。

レナート・スクロッラヴェッツァ、ジオバッタモラッシと共にジュゼッペ・オルナーティとフェルディナンド・ガリンベルティが指導する修復コースに通う。モラッシ同様この時の経験がビソロッティの楽器製作者としての経歴の一つの重要な分岐点となった。

1962年プラティナ通りに最初の工房を開く。同時期にシモーネ・フェルナンド・サッコーニと親しくなり、ビソロッティはサッコーニに師事するようになる。1962年から1972年にかけてサッコーニは夏季の数ヶ月をクレモナで過ごし、ビソロッティの工房で働き、二人で当時 パラッツォ・デッラルテに保管されていたストラディヴァリの遺品コレクションの研究、再整理を成し遂げた。

ビソロッティはクレモナ弦楽器制製作学校の教師となり、当初は木工工房(1961年〜)、次に弦楽器製作(1970年〜1983年) を担当した。彼はヴァイオリン製作においてストラディヴァリ式に忠実で、ヴィオラに関してはガスパロ・ダ・サロ型やテストーレ型、チェロはヴェネツィア派を模範としている。
ビソロッティは息子ティツィアーノが若くして亡くなり、その後マルコ・ヴィニーチョ、マウリツィオ、ヴィンチェンツォの3人の息子と共に現在もクレモナのサン・パオロ広場の工房で活動している。

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