イタリアの若手から巨匠の楽器をご紹介しています。在庫についてはお気軽にお問い合わせください。

Gio Batta Morassi / ジオ バッタ モラッシ

ジオ・バッタ・モラッシはウディネ県のチェダルキスで1934年7月2日に生まれる。伝統的に木の伐採や木工業を営んでいた一家は1942年にヴァル・カナーレのカンポロッソに移り住む。 当時アリスティデ・カヴァッリのモンテヴェルディ製作所さえも軒をたたみ、クレモナの町にはハンガリー人ピーター・タターの工房以外には弦楽器製作所は一軒もなかった。モラッシは1955年に弦楽器製作学校を卒業した後、教師であったタターのもとで仕事をする。後にタターがアメリカに移住して教壇をさり1958年後任の公募がでる。ピエトロ・ズガラボットが教鞭をとりモラッシが助手となる。ズガラボットの登場よりも、ミラノの弦楽器製作者ジュゼッペ・オルナーティとフェルディナンド・ガリンベルティが60年代初旬に修復講座で教えるためにクレモナへ来たことがモラッシの経歴に大きな影響を与えることになる。二人のマエストロの指導のもとアマーティやストラディヴァリの作品をもとに形成された作風に磨きをかる。彼はオルナーティやガリンベルティのモデルを多く受け継ぎ、またミラノ派の弦楽器の柔らかく丸みを帯びたラインを好み、後に自身の弟子達にもそれを伝承する。1958年から助手を務める彼は1971年弦楽器製作の主任教授となり、1983年まで教職を続ける。
イタリアバイオリン製作における最高権威。1957年のアンコナ弦楽器コンテストにてバイオリン製作部門のゴールドメダル受賞以来、数多くのコンテストでゴールドメダルを受賞。1972年にはポーランド・ポズナ国際コンテストで、弦楽器製作の最も重要な人物としてポーランド国立博物館特別賞を受賞。現在、製作の傍ら、ヨーロッパの主要なコンテストの審査員を務め、イタリアの代表として世界中で開催される会議や講演会に招聘されています。
現在は息子シメオーネと甥のジョヴァンニ・バッティスタが工房を受け継ぐ。
彼の残している作品は、今後更に価値が上がると言われており、今でも高値で取引がされています。

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Francesco Bissolotti / フランチェスコ ビソロッティ

フランチェスコ・ビッソロッティは1929年クレモナ北部の小さな村ソレジーナに生まれる。1940年代に均衡のカステッロレオーネの中心地に転居し、著名な彫刻家であり飾り物職人ジーノ・ロッタに弟子入りする。更に音楽への強い情熱により腕利きのアマチュア・ヴァイオリニストとなる。1957年にクレモナ国際弦楽器製作学校に入学、入学数ヶ月間ピーター・タターが教師を務め、その後ガエターノの息子であるピエトロ・ズガラボットが教壇に立つ。同氏は製作技法に従来指導してきた方法とは違った新技術を導入した。中でも意義深かったのは内型とア・カッサキウザと呼ばれる、楽器の最後の組み立て作業の後にアウトラインを仕上げパーフリングを施す技法を取り入れたことであった。ガエターノの楽器の多くをビソロッティが修理、点検したこともあり、当初のビソロッティの作風はズガラボットの影響を強く受けていた。 レナート・スクロッラヴェッツァ、ジオバッタモラッシと共にジュゼッペ・オルナーティとフェルディナンド・ガリンベルティが指導する修復コースに通う。モラッシ同様この時の経験がビソロッティの楽器製作者としての経歴の一つの重要な分岐点となった。
1962年プラティナ通りに最初の工房を開く。同時期にシモーネ・フェルナンド・サッコーニと親しくなり、ビソロッティはサッコーニに師事するようになる。1962年から1972年にかけてサッコーニは夏季の数ヶ月をクレモナで過ごし、ビソロッティの工房で働き、二人で当時 パラッツォ・デッラルテに保管されていたストラディヴァリの遺品コレクションの研究、再整理を成し遂げた。 ビソロッティはクレモナ弦楽器制製作学校の教師となり、当初は木工工房(1961年〜)、次に弦楽器製作(1970年〜1983年) を担当した。彼はヴァイオリン製作においてストラディヴァリ式に忠実で、ヴィオラに関してはガスパロ・ダ・サロ型やテストーレ型、チェロはヴェネツィア派を模範としている。 ビソロッティは息子ティツィアーノが若くして亡くなり、その後マルコ・ヴィニーチョ、マウリツィオ、ヴィンチェンツォの3人の息子と共に現在もクレモナのサン・パオロ広場の工房で活動している。

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Nicola Lazzari

1961年ブレシアに生まれ。1985年クレモナのトリエンナーレにてビオラ部門ゴールドメダル受賞 1986年 ヴィニアフルキバイオリン製作コンクールにてファイナリスト、ニス部門特別賞受賞(1981年にも同賞を受賞)。彫りの深いアーチング、優雅で丸く調和のとれたコーナー、透明感、量感に富んだ軟らかいニスが特徴。細部の仕上げも大変丁寧で、全体的に温かみのある典型的なイタリアンバイオリンといえる。

Marco Osio

ブレシア近郊に生まれたマルコ・オッジオ氏は、弱冠13歳で弦楽器製作の道を選び、クレモナの国立弦楽器製作学校を卒業したのち、クレモナの伝説的製作家 Gio Batta Morassi 氏の工房に通い、その技術に磨きをかけました。 また、マエストロから特別に才能を認められた彼は、Gio Batta 氏が貯蔵している特別な材料を使用することを許され、以来、極上の材料のみを使用して製作するようになります。

Fabio Dalla Costa

ファビオ・ダラコスタは、1984年にクレモナ国際弦楽器製作学校をGio Batta Morassi指導のもと卒業し、1988年までマエストロのもとで研鑽を積みました。その後はヴィチェンツァに工房を構え、1994年から2002年までの間にチャイコフスキー記念弦楽器展において3回連続入賞を果たすなど、輝かしい成績を残しています。現代イタリアを代表する最高峰マエストロの一人といえるでしょう。

Piero Virdis

1971年 イタリア サルディーニャ島に生まれ。1990年頃より楽器製作をはじめる1997年よりクレモナの楽器製作家フランチェスコ・ビッソロッティ氏に師事。現在はパッターダ市に工房を構える。充分に吟味された材料を用い細部まで丹精込めて作り上げられ、透明感のある茶褐色のアルコールニスによって美しく仕上げられる彼の楽器は、イタリアらしいみずみずしい音色が際立った特色になっている。

Giorgio Scalmati

1938年生まれ。イタリア・マントヴァに工房を構える。ジオ・バッタ・モラッシ氏の指導のもと、バイオリン製作の全てを学ぶ。1991年 バヴェーノ国際コンクール ニス部門 最優秀賞、ビオラで3位を受賞。1993年 ブタペスト国際コンクール バイオリン部門で1位を受賞。1994年 チャイコフスキー国際コンクール ビオラ部門で3位を受賞。1995年 バヴェーノ国際コンクール ファイナリスト。1996年 ヴィエニャフスキ国際コンクール ニス部門 最優秀賞。

Masayuki Uchiyama

1944年長野県生まれ。1974年鈴木バイオリン製造株式会社に奉職。1979年イタリア・クレモナの国際バイオリン製作学校に入学し、楽弓製作はG.Lucchi氏、リペアはB.Carlson氏から指導を受ける。1985年よりマエストロとして楽器製作を開始。G.B.Morassi氏の指導の下、楽器作り、 職人としての薫陶を受け現在に至る。2000年より楽器のラベルが木版画家Adriano Porazzi氏製作のラベルに変わる。

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